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Pすけ☆の気まま日記

Pすけ☆の気まま日記

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   図1(註1)
「原始人が木と木で火を起こすように、私は君達五人を激しく
擦りあわせてピーター・パンを創りだした。彼は君達が作り出
した花火だ。」
James Matthew Barrie
(『戯曲ピーター・パン』献辞より1928年出版)

私が、卒業論文で“Fantasy Fiction”を選択し、そしてその中でもピーター・パンについて研究しようと思ったのには、二つの理由がある。

一つ目の理由は、自分が幼いころからピーター・パンの物語が大好きだったということ。私は1989年1月15日-1989年12月24日にハウス食品の提供で放送していた『ピーター・パンの冒険』というテレビアニメに夢中でした。放送終了の12月24日には、「もう見られないなんて嫌だー!」と泣き出して両親を困らせたほどでした。


二つ目の理由は、私が卒業論文を書く今年2004年(提出は2005年になりますが・・・。)が、ピーター・パンが舞台での初演からちょうど100年目の記念すべき年だということ。

ケンジントン公園を乳母車に乗って散歩中の少年が、母親が大人になった自分の姿を話しているのを耳にし、失望。「大人になんかなりたくない。」と乳母車から逃げ出し、サーペンタイン池にある小さな島で暮らし始めます。妖精と仲良くなった少年は成長することなく、永遠の少年として生きることになりました…。というのが、ピーター・パンの生誕秘話というか、生い立ちである。そして生みの親である作者が戯曲『ピーター・パン?大人にならない少年?』(PETER PAN?who never grow up, 1904)を書いたのが、100年前のことだ。

舞台やミュージカルの定番演目となったのをはじめ、Disneyによりアニメ映画化されたり、スティーブン・スピルバーグ(Steven Spielberg, 1947-)監督の手で映像化されたり(『Hook』1991)“キング・オブ・ポップ”ことマイケル・ジャクソン(Michel Jackson, 1975)が自身を同一化させようとしたことでもピーター・パンの存在は超メジャーとなった。とはいえ、永遠の少年像は長年の間、少しずつ歪められてきたのも事実である。ファンタジーてき部分に商店が集ったせいか、思春期ならではの初恋は無視されてしまったのだ。

第6章で詳しく紹介するが、2004年に日本で公開された映画『PETER PAN』の見所はまさにその初恋の部分だといって過言ではないだろう。Disneyアニメがおままごと化してしまったピーターとウェンディーの甘酸っぱい関係がスクリーンいっぱいにしっかりと蘇っているのだ。
1904年12月27日の初演から、ちょうど100年。世界でたった一人、大人にならない少年が生まれたイギリスでは、2004年をピーター・パンの年にする声明が出された。宣言したのは、英国議員の貴族院だ。日本では、この絶妙なタイミングにソニー・ピクチャーズから映画『ピーター・パン』が公開された。英国のみならず、夢を見ること、信じることが求められる現代?。壮大な冒険と、無限の夢、永遠の愛に満ちた物語を、すべての大人たちと子供達に贈られたのである。




















※以下は、英国議会貴族院宣言書の翻訳である。

英国貴族院ピーター・パンの百周年の宣言書

ピーター・パンの名で知られる少年が、
その生みの親である作家J.M.バリが
ケンジントン公園を散策していたときに生を得たために、
1904年12月27日、
同パン少年がロンドンのデューク・オブ・ヨーク劇場で
初飛行を成し遂げたために、
ジェームズ卿がピーター・パンの権利を
ロンドンのグレート・オーモンド・ストリート・ホスピタルに
寄贈したことを通じて、
この少年の冒険物語が無数の子どもたちの命を救ってきたために、
その後百年にわたり、毎年「いつまでも大きくならない少年」が
子どもたちの想像力を刺激してきたために、
ピーター・パンの「ものすごい大冒険」が、
今後も時代を超える驚きでもって
幾世代もの人々にインスピレーションを与え続けるであろうために、
よって今、ロンドンの舞台における
この不思議な少年の登場百周年を記念するとともに、
我々自身が夢をみること、想像すること、そして信ずることを、
かつてないほど必要としていることから、
2004年を「ザ・イヤー・オブ ピーター・パン」とすることを
全英国民に向けてここに宣言する。

2003年12月カーディフのキャラハン卿KG (註2)


1904年。原作者バリは、すでに名高い劇作家であり、小説家だった。彼の劇に、世間の注目は集まっていた。さらに、この新作劇は公演初日まで内容が極秘にされたため、さまざまな憶測が新聞や雑誌を賑わせていた。?
12月27日、午後8時30分。デューク・オブ・ヨーク劇場の幕が上がり、ピーター・パンは、観客達の前で初めて空を飛んだ。?ロンドンは、喝采と共に少年の出現を歓迎した。?
最初に賞賛したのは、子供達ではない。劇と文学を愛する英国の大人達だった。誕生以来、この大人にならない少年は、世界中の大人と子供に愛され続けた。









第1章 
 Fantasy Fictionとは何か
読者の側から見るファンタジーの認識
【ファンタジー】【Fantasy Fiction】とは?
(ファンタジー・Fantasy Fiction:幻想的作品)
『広辞苑』(岩波書店)
ここから解釈するなら、ノンフィクション以外の、作者の想像によって生み出される「小説」という形態全てが【ファンタジー】であるということもできる。しかし【ハードボイルド】と総称される作品群が決して【ファンタジー】と呼ばれることがないように、【ファンタジー】として括られる諸々の作品には、他のジャンルと、このジャンルとを分け隔てる何らかの要素があるはずと考えた。?その要素とは何であるかというのをこの章では探っていくのだが、まずは、読者がファンタジーとその他のジャンルをどう区別していくかを見てみる。






まずは、下記の表1・表2を参照してほしい。





魔法・魔法使い・魔女
38%
冒険・危険
22%
ハッピーエンド
10%
ヒーロー・ヒロイン
10%
表1
表2
これは7月、8月、9月と、3ヶ月にわたって自分のインターネットサイ HYPERLINK "http://plaza.rakuten.co.jp/jessiejean/" トhttp://plaza.rakuten.co.jp/jessiejean/
で、「ファンタジーといえば?」というアンケートをとった結果である。
アンケートに参加してくれたのは、9歳の小学生?65歳の方までさまざまで、男女合わせて523人の方が参加してくれた。一見して判る通り、「魔法」「魔法使い」のグラフが飛び抜けていることがわかる。これは、最近のブームであるJ.K.ローリング(Joanne Kathleen Rowling 1965?)の『ハリー・ポッター』(Harry Potter)シリーズや、J.R.R.トールキン (John Ronald Reuel Tolkien 1892?1973)の『指輪物語』(Lord of the Rings,1954)の印象が強いからだと私は思っている。
上位の「魔法」や「冒険」といったように「非現実的な世界または現象」が登場することを、ファンタジーの要素として捉えている意見が多数派のようである。? 
この「非現実的な世界または現象」というのは、ある一面に置いてかなりファンタジーの本質に近づいている意見であるといえる。ただし、1990年以降のファンタジー作品における主流は異世界ファンタジーであるからといって、これをそのまま「異世界と魔法」という風に解釈し、「異世界ファンタジーのみがファンタジーである」と結論づけるのはあまりにも短絡的すぎる。「異世界ファンタジー」もファンタジーであるというのが正しい判断だろう。








作家の立場から見たファンタジーの認識
  では逆に、実際にファンタジー作品を世に送り出している作家は、ファンタジーというものをどのように認識しているのだろうか。『魔法の国ザンス』シリーズなどを手がけている、アメリカの人気作家ピアズ・アンソニー(Piers Anthony 1934-)は、“作者が想像する世界”としてジャンル的に極めて近いといわれる「ファンタジー」と「SF」とを区別するために
「SFは可能性の文学であり、ファンタジーは不可能性の文学である。(註3)」
と定義している。これは「将来、実現の可能性が残されているかどうか」という風に言い換えてもいい。「SF=可能性の文学」というのは、「月面、あるいは火星などに建設されたコロニー」であるとか、「遺伝子工学技術によって生まれた新種の生物」などの現在の科学の延長上に立脚した理論・技術を用いて創作した作品ということだろう(中にはタイムマシンや平行世界パラレル・ワールドなどの、理論上存在が不可能とされているものや、実際に観測して存在を確かめることが出来ないものもあるが、これは例外としておきます)。
一方、「ファンタジー=不可能性の文学」というのは、現在、もしくは将来において人類が手に入れるであろういかなる技術、発見しうる法則を完全に逸脱した現象、例えば「魔法」であるとか「想像上の生き物」などを扱った作品のことである。つまり、ファンタジーを捉えるのに際しファンタジーというジャンルそのものに焦点を合わせるのではなく、ファンタジーと密接しているいくつかのジャンル(SFやホラー)との差異を挙げていき、線引きをすることによって特徴を明確にしようということである。さしずめ、これが「ファンタジー」と「ホラー」であれば、「人間の“恐怖”や“嫌悪感”という感情を喚起させるのを目的としているかどうか」がこの二つのジャンルを区別する基準となり得るだろう。?
ということで、「ファンタジー」の本質は、アンケートやピアズ・アンソニーの言葉を借りるなら、どうやら「非現実的な世界または現象が登場する不可能性の文学」という所にありそうである。












神話・童話とファンタジー
  ならば、「非現実的な世界または現象」が登場する「不可能性の文学」であるファンタジーとはどのようなものなのか。?
ファンタジーと非常に近しい所に、神話や童話がある。ギリシャ神話において、主神ゼウスの寵愛を受けたがために、その妻ヘラにその姿を熊に変えられ、後には大熊座に変えられた乙女カリストのエピソードや、次の章で紹介するアンデルセン(註4)の人魚姫などはまさに「非現実的な世界または現象」が登場する「不可能性の文学」ということができる。このような例はそれこそ枚挙にいとまがなく、そのために神話や童話はしばしばファンタジーと混同されて用いられることがある。神話や児童文学を含んだ童話は、明らかにファンタジーの源流となる存在であると言えると考えられている。しかし、現代におけるファンタジー作品はこれらと同種の存在であるとはいえ、明らかに区別されるべきものだと考えていることも確かだ。神話と小説を区別する論としては、次のようなものがある。優れた神学者であり、『ナルニア国物語』(The Chronicles of Narnia,1950)の作者でもあるC.S.ルイス(Clive Staples Lewis,1898-1963)は『批評の実験』(1958)の中で物語を三つに分類している。
? 1.文学作品になって初めて出る価値とは独立してある価値を持つ物語? 2.あらすじだけではさほどでもないが、作品になると面白いもの? 3.あらすじを読んでもなんの面白味もないもの (3?67)(註5)
これらの中で1が神話なのだと、彼は言うのである。オルフェウスが冥界に妻をとりもどしにゆく物語は、それをどんなに単純化した形で、へたな語り手が物語っても、人を感動させる。そうした力のあるものが神話である。
そして、2は大多数のエンターテイメント小説にあたり、3は純文学を指すと続けている。つまり神話とは、まったく肉付けしていない物語であり、すべての物語の核または原子とも言える存在なのである。前述の2に当たるファンタジーとは根本的に違うものであると言えよう。?
童話(児童文学も含む)は、かなりファンタジーと重なる部分が多い。ある意味ではファンタジーといえる。しかし、『グリム童話』(Grimm, 1812)や『イソップ物語』(年代不明)と『指輪物語』が決して同じベクトルを有していないように、児童文学とファンタジーには歴然とした違いが存在する。それは即ち、「作者が想定する読者の年齢層」である。大人と子供(ここでは便宜的に思春期を迎える前の年齢を大人と子供の境と規定する)には理解力に歴然とした違いが存在する。大人が先に挙げた童話を読むならば、おそらく子供だましと一笑に付すであろうし、子供が『指輪物語』を読んだとしても、表層的にしか理解できないであろう。逆に言うと大人が読むに十分耐えられる作品ならば、「児童文学」という括りをされていても、その作品はファンタジーに分類してもまったく構わないのである。ミヒャエル・エンデ(Michael Ende,1892-1963)の『モモ』(MOMO,1973) HYPERLINK "http://www.kuro-neko.jp/misc/sotsuron/sotsuron2.html" ?l "1#1" (註6)や『果てしない物語 HYPERLINK "http://www.kuro-neko.jp/misc/sotsuron/sotsuron2.html" ?l "2#2" 』(1979)(註7)などはその好例。
?  このように見ると、ファンタジーと神話・童話の違いとして「文学作品として成り立ち、読者層を“思春期を迎えた以降の大人”としているもの」ということが定義付けされる。















本論における「ファンタジー」の定義
今までのことをすべて踏まえた上で、本論で扱うファンタジー作品についての定義を行うと以下のようになる。
「非現実的な世界または現象が登場する不可能性の文学であり、作者と読者が精神年齢的に同世代で、主な読者層を十代後半から二十代前半と捉えているもの」
である。?
この定義はそれほど的外れではないということにしてください。なにぶんファンタジーの定義自体がはっきりと定まっていないこともあり、当然異論はあってしかるべきです。しかしながらある一定の定義をもうけないと議論が成り立たないのもまた事実なので、まわりからの異論・反論は承知のものとして、この定義を元にこの先に進むことにします。







様々なファンタジーの形態
ところで、「ファンタジー」と一般に総称されるジャンルを見てみると、その中に更にいくつかのサブジャンルが内包されていることに気がついた。それでは「ファンタジー」のサブジャンルとして一体どのような種類の作品が存在するのか? 一例としてはこのようなものがある。1979年、『ファンタジー文学』で古典から当時までの作品のテーマ別分類の細分化を試みている。
*「神話&妖精物語のファンタジー」
*「ゴシック・ファンタジー」
*「サイエンス・ファンタジー」
*「剣と魔法の物語:ヒロイック・ファンタジー」
*「年齢無差別ファンタジー」(要するに児童文学のカテゴリーにおさまりきらない、という意味らしい)
(4-63)(註8)
といったものであった。
30年ちかく前でさえ、これだけのサブジャンルがある。しかも1980年以降から現在に至っては、よりジャンルの細分化が進み、人気作品が出るたびに新しいサブジャンルの名前が生まれるといった様相を呈している。それはまさに
「物語の構造やそれに沿ったテーマの発見という理由から細分化が進むというより、むしろもっとマーケット上の必然性が絡み合って HYPERLINK "http://www.kuro-neko.jp/misc/sotsuron/bunken.html" ?l "5" (註9)」
生み出されているものなのだ。
もちろんそのような理由で生み出されるサブジャンルのすべてを説明するのは到底不可能であるし、また意味のないことである。そこで、ここではある程度、「物語の構造やそれに沿ったテーマの発見」という観点からファンタジーを分類し、それを説明していきたい。まず、ファンタジーは【ハイ(high)・ファンタジー】と【ロウ(low)・ファンタジー】の二つに大別することが出来る。この分類は
*その物語が立脚している背景世界を基準としており、現実世界と異なる世界を舞台としているものが【ハイ・ファンタジー】
*現実世界が舞台となっているものが【ロウ・ファンタジー】となる。?
それでは、【ハイ・ファンタジー】と【ロウ・ファンタジー】の中に、含まれるサブジャンルをそれぞれ検証していこう。







〈ハイ・ファンタジー〉
 1.エピック・ファンタジー(epic fantasy)
「エピック」(epic)とは叙事詩のことであり、エピック・ファンタジーとは、異世界を舞台にして、そこで起きる歴史的な出来事を綴った物語のことである。大体の場合において、その歴史的な出来事とは、その世界の行く末を定めるほどの大規模なものであることが多い。?
そしてそのために、エピック・ファンタジーでは、創造した異世界に対する詳細な構造が求められる。異世界の構造が、圧倒的なリアリティーを伴って読者に向かってこない限り、エピック・ファンタジーは成立しないのである。文句なくエピック・ファンタジーの最高峰であり、代名詞ともなっているのが、J.R.R.トールキンの『指輪物語』 HYPERLINK "http://www.kuro-neko.jp/misc/sotsuron/sotsuron2.html" ?l "3#3" (註10)であろう。
この物語で語られる「歴史的な出来事」とは、「主人公フロド・バギンズ(Frodo Baggins)が、魔王サウロンの力の大半を封じ込めた『一つの指輪』を火山に捨て、破壊しに行く」ということである。また、著者のJ.R.R.トールキンは、『指輪物語』の他、『ホビットの冒険』(1937)『シルマリルの物語(The Silmarillion, 1977)』などの共通舞台として「Middle-earth(中つ国)」という世界を創造した。そして、この世界の地理・歴史・言語・文化・風俗を綿密に設定している。この設定自体は、ストーリーとは密接な関係を持たず、また読者からすると、いささか情報過多とも言える。余談だが、1977年に評論社から発行された文庫版の『指輪物語』では、序章として「ホビットについて」「パイプ草について」「ホビット庄の社会秩序」「指輪の発見について」「ホビット庄記録に関する覚え書き」という項目がある。そしてこの記述は、『指輪物語』の主人公フロド・バギンズを含む「ホビット」という種族を理解するのには役立つのだが、本筋とはまったく関係がなく、論文のような書き方であったために、この項目を読むのに疲れ、『指輪物語』の読破を早々に断念してしまった読者が大勢いるくらいである。もちろん私も含まれる。?
しかしながら、(裏設定として著者の手元に残しておくか、それとは逆に世に出すかは別として)膨大な量の設定はそれだけで、物語に一貫性をもたらし、記述の一つ一つに他の作品とは比べものにならないほどのリアリティーをもたらすのである。
 









2.ヒロイック・ファンタジー(heroic fantasy)
異世界においての、ある英雄の活躍を扱った作品群のことである。「ヒロイック・ファンタジー」という呼称は、1963年、ロバートE.ハワード(Robert E. Howard,1906-1936)の研究家スプレイグ・ディ=キャンプ(Sprague De Camp,1907-)によって名付けられた。エピック・ファンタジーとの違いは、前者が「事件もしくは出来事」を話の中心に据え、それを中心に登場人物達が動き、話が展開するのに対して、こちらは、英雄自身の個人的な目的で話が展開する点である。大抵の場合、その目的は「一国の王になる」事であったり「莫大な財宝を手に入れる」事であったりするので、物語の壮大さという点では、エピック・ファンタジーに比べかなりスケールダウンする。
また、このヒロイック・ファンタジーのエッセンスとしての「剣」と「魔法」を冠して「SWORD & SOURCERY(剣と魔法の物語)」と呼称されることもある(ちなみにこれは、マイケル・ムアコック(Michael Moorcock,1939-)の友人で、アメリカのSF作家、フリッツ・ライバー(Fritz Leiber,1910-1992)が名付けた)。
これは、「剣」に象徴される戦士と、それと敵対する(時には援助する側にまわることもある)魔法使いの使用する「魔法」が読者の興味を惹きつけている証拠である。? 



3.ライト・ファンタジー(light fantasy)
ライト・ファンタジーの「ライト」とは[light]「手軽な」という意味である。『指輪物語』の重厚さや、主人公の苦悩など、ファンタジーの持つ幻想性の追求はかなり抑えられており、その代わりにエンターテイメント性が高く、一般の読者に受け入れられやすくなっている。?
ライト・ファンタジーの特徴は、J.R.Rトールキンやマイケル・ムアコックなどの先人達が作り上げた異世界を手本とした、架空の世界を舞台としていることである。つまりライト・ファンタジーでは、異世界ファンタジーとそれに付随する条件、魔法や想像上の生き物、怪物などの存在が、既に一つの様式として確立しており、読者に周知の物として扱われているのである。?
例えば、『ドラゴンランス戦記(註11)』(Dragon lance Chronicles)という作品がある。この物語では、ハーフエルフ HYPERLINK "http://www.kuro-neko.jp/misc/sotsuron/sotsuron2.html" ?l "8#8" (註12)の主人公タニス(Tanis)の、己の出生に関する苦悩や、失われた神の起こす奇跡としての魔法などもあるのだが、そのような異種族や魔法などの幻想性を語るよりも、敵として現れる龍の女王タキシスとの戦いや、それに立ち向かう主人公と仲間達の人間関係を語り、楽しむ方向に重点が置かれている。



 4.架空歴史物
架空歴史物とは、別の世界を舞台とした歴史物語である。扱われる多くの話が、その世界にとっての重要事であることが多く、エピック・ファンタジーと混同しがちだが、架空歴史物は舞台だけを異世界に求めた物が多く、ファンタジーとしての要素は薄い。?
田中芳樹(1952-)の『アルスラーン戦記 HYPERLINK "http://www.kuro-neko.jp/misc/sotsuron/sotsuron2.html" ?l "9#9" (註13)』(1991) は、舞台こそ中世ペルシャをモチーフとした異世界を用いているが、読者にとって不可思議と思えるような非現実の要素はほとんどない。戦争において使われる計略も、十分現実に考えられる範疇に収まっている。この作品は、異世界を舞台とした『三国志演義』(1998)と考えるとわかりやすいかもしれない。








〈ロウ・ファンタジー〉
 1.エブリディ・マジック(everyday magic)
我々が生活している身近な世界に魔法が現れるという、個人的な幻想体験を扱った物がエブリディ・マジックである。このジャンルは児童文学に多く、映画にもなった『風に乗ってきたメアリー・ポピンズ HYPERLINK "http://www.kuro-neko.jp/misc/sotsuron/sotsuron2.html" ?l "10#10" (註14)』(Mary Poppins, 1993)や、『砂の妖精 HYPERLINK "http://www.kuro-neko.jp/misc/sotsuron/sotsuron2.html" ?l "11#11" (註15)』(Five Children and It, 1902)などが例として挙げられる。?
しかし、この分野はテレビドラマやテレビアニメでの進出がめざましい。『奥様は魔女(註16)』などのドラマ、『秘密のアッコちゃん(註17)』に代表される、数え切れないほどの子供向けのテレビアニメによって、2004年現在の20?30代の人々には非常に馴染みの深いものとなっている。
 








2.伝奇小説
日常生活において超自然現象が発生する状況を描いた作品が伝奇小説である。「伝奇小説」という呼称は、完全な市民権を獲得しているわけではなく、他に「アーバン・ファンタジー(urban fantasy)」という呼び方もある。伝奇小説には大きく分けて三つのパターンがあり、それは超自然的現象(もしくは能力)が主人公側に存在するか、主人公と敵対する側に存在するか、もしくはそれ以外である。
1番目の例として『創竜伝 HYPERLINK "http://www.kuro-neko.jp/misc/sotsuron/sotsuron2.html" ?l "15#15" (註18)』(1987)
2番目の例として『帝都物語 HYPERLINK "http://www.kuro-neko.jp/misc/sotsuron/sotsuron2.html" ?l "16#16" (註19)』(1988)
3番目の例として『魔界都市〈新宿〉 HYPERLINK "http://www.kuro-neko.jp/misc/sotsuron/sotsuron2.html" ?l "17#17" (註20)』(1982)
 以上が、ファンタジーの基本的な分類である。




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